時代の最先端を行こう

メモ。音研メーリスで回ってきた内容について。

件のメールは「先輩には挨拶をきちんとしろ」「あんまり部外者を入れるな」っていう内容だったのだけど、やっぱり少なからず当事者意識もあるので一応自分の意思をここに書いておく。

 

簡単に言ってしまえば、僕は別に「部外者」がかなり来ていてもまったく構わないと思う。別に自分から進んで呼びこもうとは思わないが、人が来るならそこに拒む必要は全くない、というスタンスだ。

 

この問題が沸き起こった原因の一つに、先輩方がある種の疎外感を感じている、ということがあると思う。これは全くもって僕らの問題である。

音研において、二年生がマジョリティなのは確かだ。「正式な」部員数は、特にその中でアクティブに活動しているメンバーは確実に一番多いし、活動も一番盛んだろう。しかし彼らのほうが先輩なので発言権は大きい。これは世の常だ。

回ってきたメールには確かに体育会系ノリっぽかったが、彼らは別に先輩扱いとか、挨拶を求めているのではなく、共同体として最小限のコミュニケーションを求めているだけだろう。

 

コミュニケーションの問題は完全に僕らの問題だし、そこは解決すべきだ。しかし、この問題の根底は別のところにあるんじゃないかな、と思うのだ。

そもそも、文化は融合してきている。別に僕は文化を専攻している訳ではないので偉そうな事は言えないのだが、これはどう見ても明らかな事象だ。音楽にはビジュアルが共にあるようになったし、クラブに必要なのはDJと音楽と客だけ、なんて事は言ってられない時代なのだ。

実際、件のメールでやり玉に上げられた(であろう)人たちは、殆どがクラブ・カルチャーに関わっているがDJはしていない、というタイプだ。映像、写真やデザインの人たちである。

時代の流れを考えると、彼らを受け入れることは問答無用で必要不可欠なことだ。もし音研の方針が「クラブ・カルチャーの中のDJだけが黙々とDJをして楽しむ部活」なら別だが、もともとレコードを聞く部活がここまで進歩してきたことを考えると、そう頑固な部活ではないはずだろう。

 

そこで出てくるのが部費の問題だ。僕の知る限りだと、現状、部費はすべてDJないしは音楽関連の機材に使われている。部費を払って還元されるのはDJをする人々だけなのだ。

年間6000円は、いくらボンボン学校とはいっても学生なら渋ってしまうお金だ。更にそれが自分に全く還元されないのならば、もちろん払う気は無くなる。

 

また、DJ以外のクラブ・カルチャーの人たちの活動には、部活としてのリソースは全く使われない。インターネットや電気代、場所代は部活なので学校から提供されている。

ではなぜ彼らがDJたちのために年間6000円も払う必要があるのか。

 

もちろん、部員数がいないと降格されることもあるのは十分承知の上だ。現状部員数が少ないことを考えると、ならばゆっくり着実にでも良いので、彼らの活動が日の目を見る機会、あるいは払った部費が還元されるような機会を作っていくべきなのではないか。

昔の部誌を見ていてよく思うのだが、時代の流れに沿って音研は進化してきたのだから、カルチャーの中途で落ち着くのではなく、時代に沿って進化していくべきだ。

 

 

部誌の中で恐らく一番古いものには、モーツァルト派対ビートルズ派の論争がおこり、モーツァルト派が部活から追い出されたという話が掲載されている。別に追い出せ追い出せとは言わないが、音研カルチャーとして「時代の最新を行く」というポリシーを残したいな、と思うのだ。

¡ǝɯ ɹoɟ uıɐɯop qns ɹǝʇʇǝq ɐ punoɟ ı ǝsnɐɔǝq boןq sıɥʇ pǝʌoɯ ı
ɯoɔ˙boןqɐuǝʇɐɥ˙zıoʞ ʇısıʌ ǝsɐǝןd